東京芸大に隣接する上野動物園に2年半ぶりにパンダがやってきました。さんざん報道されているようですから皆さんもご存じだと思いますが、年間のレンタル費用は1頭4000万の2頭で8000万。10年間8億円の契約が結ばれているそうです。また、このパンダ受け入れにあたり、上野動物園ではパンダの宿舎を9000万かけてリフォームするなど、巨額の費用がかかっているそうです。そうなると当然湧き上がるのは「パンダ不要論」。どこかで聞いた話題とも似ているような…(苦笑)

実際、マスコミだけではなく、インターネット上の掲示板などでもいろんな意見や議論があるようですが、ここでは私個人の思いを綴ってみたいと思います。(まぁ、毎度の事ですが、興味の無い方にとってはどうでもいい話ですね…。)

この議論を難しくしているのは「上野動物園=パンダ」の図式ではないかと思います。この図式にどれくらいの価値があるのかが誰にも判断できないからだと思います。

今でこそ、国内の他の動物園でもパンダは飼育されていますが、日本で初めてパンダを飼育した動物園といえばやはり上野ですから、関係者や近隣の方のみならず多くの方が「パンダのいない上野動物園なんて…」と考えられるでしょう。ここ数年、上野動物園はその大切な「記号」を失っていた訳ですから、年間8000万(1日あたり22万程度)の費用は、費用対効果を考えれば大したことは無い…。そういう意見も多くあるようです。確かに、パンダによる集客力は有る程度期待できるでしょうし、そもそも、パンダ無しで来園者が減少傾向にあった動物園や関係者、近隣で商売をされている方々からすれば救世主とも言えるでしょう。

しかし、自分なりに考える際に他にも考慮すべき情報がありそうなので調べてみました。

・日本にはすでに和歌山に8頭、兵庫に1頭のパンダがいる
・上野以外のパンダもすべてレンタルで、日本が中国に払っているパンダのレンタル費用は年間5億円以上?
・自然死以外の原因で死亡した場合は1頭あたり50万ドル(4000万強)の賠償金の支払い義務
・どちらか片親でも中国籍の場合、中国国外で生まれた子パンダも中国籍なのでレンタル費用が発生
・「パンダ外交」とも呼ばれ、しばしば外交策として利用されている
・そもそもパンダはチベット地域に生息していた動物である(中国原産の動物では無い)という説がある

この手の問題には正解も不正解もありませんから、結論を出そうなどと大それた考えはありませんが、いろんな条件を勘案すると、投資をする方向を誤ってはいないかと心配になります。今の上野動物園で、パンダとはそこまで費用をかけてまで飼育する価値のある動物なのでしょうか?(動物の命の価値ではありませんよ。レンタル費用を払ってまで展示する価値です。)

東京の活性化という点では、経済効果は入場料だけではなく、近隣の飲食店や土産物屋、ホテル、交通などもろもろで800億くらいの効果があるそうですから魅力的です。但し、その為には未来永劫、中国にレンタル費用を払わなければなりません。都民の方で直接的に利益を享受できない方々はどう活性化されるのでしょう?また、動物園の使命の一つとして、生態などの研究活動がありますが、日本の動物園でパンダを重要視する必要があるでしょうか?中国本国には大規模なパンダの飼育研究施設もありますし、和歌山のアドベンチャーワールドの方が1歩も2歩も先を進んでいるようですから、そこに必然性を見いだすのはなかなか難しそうです。

動物園のあり方…という点ではどうでしょうか?国内有数の人気動物園「旭川動物園」は、行動展示という切り口で経営難から脱出し、一時は20万人台まで落ち込んだ入場者数も、今や上野動物園に匹敵する300万人越え。その勢いはまだ衰えず、行動展示だけではなく、混合展示などの新しいコンセプトによる展示方法を模索することでリピーターをも確保しているそうです。上野動物園は第二、第三の旭川動物園にはなれないのでしょうか?

上野動物園の関係者のみなさんも必至で頑張っていらっしゃるでしょうから、僕が偉そうに批判をするのも恐縮ですが、パンダに固執する今のやり方をみると、どうも過去の経験や歴史のしがらみに捕らわれて変化できない古い体質のような気もします。「パンダといえば上野動物園」という歴史が邪魔をしてパンダ神話から抜け出せず、いまだに客寄せパンダ頼みになって、未来に向けた新しいビジョンが見つかっていない…ということはないでしょうか?


なぜこのブログでこの話題を拾ったかというと、先の定員割れの情報を目の当たりにして、(誠に僭越ながら…)美術科にももしかしたら同じような問題があるんじゃないか?と考えたからです。

世の中が全体的に少子化へ向かう中で、美術を志す若い生徒をどのようにして確保していくのか?確保した生徒にどのような美術教育を施せるのか?卒業生はどのような進路へ進み、どのような活躍で社会や日本、人類に貢献するのか?そして、そういう教育の場である美術科は、県立高校の一学科としてどのように評価され、どのように変わっていくのか?(または変わらないのか?)

もちろん、根底には「美術/芸術を愛する心」があるでしょうが、今やそこから派生する専門分野の広がりは、単に絵画や彫刻といった純粋芸術の枠を越えて、より産業に近い部分にも広がっています。旭山動物園が「行動展示」という新しいアプローチを見いだしたように、そのような新事実をもっと広く一般の方々にも知って頂き、より広い範囲で「美術/芸術」に興味を持って頂くようなアプローチはないでしょうか?美術科の功績を語る時、いわゆる著名な芸術家の方々の露出を高めるアプローチは非常に有効ですが、そこが強調されてしまうとその分野に興味の無い人を遠ざける結果にも繋がる恐れがあるんじゃないかという気もします。ストレートに言えば、「芸術家になっても食っていけるのはほんの一部じゃないか?」という短絡的な考え方をする学生や親が受験を躊躇しているのではないか?ということです。

例えば、同じ第二高校の専門学科である理数科は、国のSSH(Super Science Highschool)指定を受けるなど、外部から見た場合(実際にどうかは分かりませんが…)将来の理数科学分野における研究者などの輩出を目標としているように見えます。SSH事業自体の是否はさておき、国の補助を受けることで普通高校では体験できない経験を積むことができ、さらに推薦、AO入試にも有利となれば志望者や在学生のモチベーションも、保護者をはじめ周りの期待も高まるでしょう。

確実に人々の注目を集める「客寄せパンダ」は、それ自身に価値もあり成果をもたらす存在でしょうが、それ以外にも未来へ向けた新しいビジョンを持って変化して行かなければ、今後さらに飛躍をすることは難しいのかもしれない…という気がします。


※文章上、「芸術家=客寄せパンダ」ととれる部分がありますが、単純に「人々の注目を集める手段として利用/活用される存在」という意味でのみ使用しており、作家/芸術家として活躍されている方々を揶揄する意図はまったくありませんのでご理解/ご容赦ください。